心と身体ときどき宇宙

鍼灸師です。仕事を通して生活を通して感じたこと見たことをつれづれに…

日野道場のワークショップ

先週 日野道場のワークショップを受けてきました。

胸骨を中心に据えたり 独自の身体論で体の操作法を展開する日野晃先生

身体を表現に活かして世間に通用する人間育成を目的とされています。

HPや著作でその内容は見てください。出し惜しみされること無くその理論は書かれています。

身体のワークショップ 1

 

全部で4日間僕は2日目を除いて3日間出ました。

最終日すべてが終わったあとでの先生の昔話が印象的でしたので書いてみます。

御年70歳になられるそうですが小学校中学校と成績は良くなく750人いた中で700番ぐらいだったそうです。

あとの50人は障害を持った人たち。

当時まだ養護学級の制度がなかったので自分がビリにならなかったのはあとにその人たちがいたおかげだった。必然的にその人たちとは仲がよくなった。

卒業して2〜3年後同窓会のようなものがあって参加するとみんなまだ学生の中で働いてるのは自分ともう一人701番の軽度の障害のある彼だった。

「おーどうしてんの?」

「俺今○○って寿司屋で働いててやっと寿司米洗わしてもらえるようになってん!」

「おーそりゃよかったの〜」

という会話で再会を喜んだそうです。

○○は今もある大きなお寿司のチェーン店

数年後偶然立ち寄った寿司屋にその友達がいてもうすでに寿司を握らせてもらってる彼を見て

「おーこいつ頑張りよったなぁ」

と思ったそうです。

更に数年後その店に行ってみるとその彼はいなくなっていました。

「どうした 奴?」

と心配してると

「店長になって△△店に移動になりました」と

へー出世しよったなぁと思いながらその店へ出向き祝ってあげたそうです。

更に数年後 その店に行くとその彼はまたいなくなっていました。

「何しでかしたんや 奴?」

と再び心配してると

「独立されて自分の店やってられます」

と教えてられました。

「やりおったな あいつ」

その後さらにそのお店は発展して支店をいくつも持つことになったそうです。

二人ともまだ40才前後のことです。

自分らより成績の良かった人たちはいい学校出たかもしれないが雇われの身で薄給の頃

経営者になってその何倍も稼ぐことが出来るようになった友達をたたえます。

 

何が偉いって

そいつは自分は何が出来るかということを自分に問うて早いうちからその答えを出してた

知ってたからや

 

「やっと米洗わしてもらえるようになった」

はその想いを端的に表しています。

 

なんでもできるなんて言うのは嘘っぱち

そんな言葉信じるからなんにもでけへん表面的な薄っぺらい人間がうじゃうじゃいる世の中になる

 

僕もそう思います。

なんでもできるなんて言葉は

励ましにもお世辞にもならない

可能性を引き出すことになんの意味もない

 

人はそれぞれが自分は何が出来るのかと言うことに向き合いながら

さらには一生という枠の中での残り時間を意識して生きていかなきゃいけない

それが身体という実態を得ている現世の過ごし方だ。

 

自分を振り返って 

なんでもできると思いこんでいた期間が長すぎたとおもった反面

今までやってきたことが無駄ではなかった

日野先生の言葉がこんなにダイレクトに入ってくるというのは

ここ数年の自分の生き方の賜物だと思えたのでした。

 

たいへん有意義な3日間でした。